縄文時代の人はグルメだった?! 「日本人のひるめし」読書感想

こんにちは 世界をまたにかける味噌ラーのミアです。

突然ですが、お昼ごはん何食べましたか?

ワタシの朝は白湯。案の定昼になる前にお腹が空いて、11時頃に白米と納豆、極上の味噌にとろろ昆布を入れた即席味噌汁を作って、何ご飯とも呼べない食事を終えたところです。

世界一周旅行へ行ってからというもの、米と納豆と味噌と手作り漬け物さえあればハッピーです。

そんなワタシに素敵な本が現れました。

日本人のひるめし 酒井伸雄著

日本人のひるめし (中公新書)
酒井 伸雄
中央公論新社
売り上げランキング: 992,339

やっぱり昔の人は、質素でもおいしいものを食べていたんだ、良い時代があったもんだ、なんて感想を持ってしまうあたりは甘やかされた現代人だからなのですが、やっぱり基本に帰ったごはんというか、シンプルなものが逆においしいことってありますよね。シンプルなご飯がおいしそうに描写されている本です。

おいしそうな縄文時代の食べもの

縄文時代に食べられていたものはバラエティに富んでおり思わず、食べたーい! と思ってしまう物ばかり。その食の豊かさは平均身長にも表れています。(注:デカけりゃ良いとは言ってません。)

縄文時代を通じてもっとも人口が多かった縄文中期で男子の平均身長は一五九センチ、古墳時代には一六三センチまで伸びたが、鎌倉時代になるともとの一五九センチに戻り、室町時代と江戸時代では一五七センチ、明治初期には一五五センチであったと推定されてる。

日本人は時代に比例して大きくなってきたとばかり思っていましたから、縄文時代より明治初期の方が小さいのは意外でした。

縄文時代、身近にある食べ物は季節毎にバラエティーに富んでおり、縄文人はそれらをうまく組み合わせて食べていた。何らかの事情である食べ物が手に入らなくなっても、代わりになる食べ物はいくらでもあり、縄文人は飢えとは無縁の生活をしていた。飢饉が発生するようになったのは、主食を米という一つの作物にしぼりこんだ弥生時代以降のことである。

文中にはアサリ、ハマグリ、クリ、ドングリ、シイなど、おいしそうな素材ばかりが挙げられているんです。今ほど調味料がないと想定すると味は微妙かもしれませんが、それでも素材が豊かなことに間違いありません。話はそれますが、単一の米に対して複数の穀物も食料源に持つことはロジカルですね。うむ。

平成初期の給食はまずい

ここからはワタシの話です。ザ・プロレタリアートの身であるくせに、町の給食センターが作る給食がおいしくなさすぎて完食に苦労してきた子ども時代がありました。時にして平成初期でありました。

なんで「ソフト麺」はここまでソフトである必要があるのか。どうして「鯖の味噌煮」をここまで臭く作れるのか。蒸し「ハムエッグ」に関しては、蓋の内側から落ちて溜まって冷たくなった水滴問題をなぜ野放しすることができたのか……9年間反芻した不満と疑問を今も忘れることはありません。

給食よりよほど旨そうな握り飯

話は本に戻ります。外で食べる食事について握り飯が登場します。ここに出てくる「握り飯」の方が、給食より余程おいしそうなんですよ!

以下抜粋

江戸時代に入ると握り飯の形や作り方にも工夫が加えられるようになった。江戸末期の『守貞漫稿』(喜田川守貞)には次のように書かれている。

今ごろは手に塩水をつけて握る。江戸、京坂とも形のきまりはないが、京坂では俵形に握り、おもてに黒ゴマをまくものがある。江戸では円形、三角など……が多く、ゴマを使うのは珍しい。
多くの場合、握ったあとからこれを焼いている。

……大名の弁当も握り飯
戦国時代を過ぎて平和が訪れた江戸時代、武士の間には握り飯を食べる習慣が定着し、握り飯は屯食と呼ばれていたころのように下賤視される食べ物ではなくなっていた。……

そして極めつけは同じページ載っている資料で、3人の巡礼が楽しそうに握り飯を食べている、東海道五十三次細身図絵です。

一部お載せしましょう。

 

あ〜食べたくなりますよこんな握り飯。ソフトすぎるソフト麺(学校給食)よりよっぽど食べたいです。

給食の始まりは兵士のごはん

そんなわがままをよく言えたものだ、と我ながら恥ずかしくなります。昔の給食といったら、疲弊した心身に対してそれはそれは質素なのですから。

四、五世紀までには東北地方を除く本土の大半を大和朝廷が統一し、日本ではじめての統一政権が誕生した。……統一政権誕生後も各地で起こる反乱にも軍を送って平定しなければならなかった。当然のことながら、派遣される軍隊は食料を持参し、兵士に食事を支給しなければならなかった。持参する食料は乾飯や焼き米であった。モミのまま炒ってから、搗いて籾殻を取り除いた物が焼き米で、そのまま食べるものである。乾飯はもち米を蒸してから天日で乾燥したもので、湯や水に入れて柔らかくしてから食べるのが普通である。

戦いに疲れた兵士は早く郷に帰って温かい食事を食べたいに違いないと、ワタシなんかは想像するんです。

シンプルな料理がおいしいとは言え、この兵士のための食事は例外です。あくまでも体を機能させるための食事で、食べる喜びが欠如しています。

そして明治から戦後にかけての給食の記述も続きます。戦争中は兵士の体力を補うために発案された給食が、戦後以降には福利厚生、そして産業としての意味を強めた給食へと変化していきます。

あぁ、福利厚生の面も持ったありがたい給食を食べて、まずいと嘆くのはけしからんであります! ましてやおいしいと言う子もいる中で失礼極まりない。

話は一転して、江戸時代の屋台の様子がとても良かったので、当時の寿司と天ぷらについて触れたいと思います。

さくっと立ち食いできた江戸の寿司と天ぷら

寿司も天ぷらも握りたてと揚げたてが一番おいしいですよね。今の時代に最高においしく寿司とてんぷらを食べようと思うと、それぞれの専門店へ行くのが良いでしょう。

なんといってもあなたのためだけにベストなタイミングで握って(揚げて)くれるわけですから。

それが江戸時代ではいずれも屋台で食べられていたんですって。

そば、握りずし、てんぷら、うなぎの蒲焼きなど、今では日本料理の代表と見られている食べ物ももとをただせば、いずれも江戸の屋台からはじまった食べ物なのである。……てんぷらも握りずしも十八世紀後半から明治までの間、単身の男性が屋台でつまむ食べ物であった。……江戸の料理や文化を支えていた身分の高い武士や、裕福な商人などは、屋台の食べ物を下賤な食べ物と見下していた。

だそうです。ちょっと小腹が空いたから屋台で天ぷらをさくっと食べる喜びを想像したら羨ましくなるでしょう? お座敷で上品になんていうサービスはなくとも、揚げたてを食べさせてくれるだけで腹も気分も大満足です。

まとめ

シンプルさを大切にするのは基本ですが、前提として旬の食材を使うとか、できたての料理であるということが大切にされてこそ、「シンプル」が「特別おいしい」に感じられるのです。味覚にはそういう面も含まれますよね。

「ひるめし」を切り口に食や歴史をおもしろく解説してくれたこの本、わかりやすかったです。縄文人の食や、江戸時代の屋台やおにぎりに憧れたり、兵士の給食に胸が痛くなったりと、そんなおもしろい本でした。


プロフィール

ミアタケ

2年4ヶ月に及び、みそ汁をふるまう世界一周旅行をする。味噌に感化され和の文化が好きに。帰国後30歳からミア流和式花嫁修業に精を出す。
さまよいがちにグローバル化する現代ニッポンの産物であり、博愛主義の愛国者と自分自身を分析する。

Facebook: https://www.facebook.com/misodama.world/
Twitter: https://twitter.com/MiaTakeshige
Instagram: https://www.instagram.com/mia_takeshige/
English Blog: http://misospot.com/
Youtube: https://www.youtube.com/channel/UC-CAlUVk2PRbz0pdnhidZgg